ひと段落して

父の四十九日が何とか終わり、ホッとしつつ、自分がどんなにこうせねば、に囚われていたのかを思い知る。

毎日、お花を生け直し、毎日御膳を用意し、逮夜には花を買い、一人でお経を読む。

なんか、大変だった。ある意味辛かった。

でも、やらなきゃいけないことだし、やるべきものだった。

四十九日は家でしたかったので、庭の草を刈り、障子の張り替えをし、家の掃除をし、座布団を用意し、座れない人用に椅子を用意し、花もお供えも…石屋さんに石塔の手配、お寺さんとの打ち合わせ、来てもらいたい人への連絡、精進落としの手配。

精一杯やったつもりでも、まだまだ足りなかった。

妹が手伝ってくれて、本当によかった。

けど…

こうせねばって、頑張りすぎたんじゃない?

 

今になって、父のことを思い涙がこぼれる。

悲しんでる暇がなかった。

十分長生きしたし、天寿を全うしたと言われる年ではあるけど、、それでも、もう会えないんだなと思うと、涙がこぼれる。

あんなに喧嘩したし、迷惑かけられたと思うのに、今は、笑ってたり喜んでる父しか思い出されないのはなぜ⁇

 

本当は、毎日、炊き立てのご飯とお茶をお供えするのが当然なのだが、絶対しなけりゃいけないことと思うと、私が苦しくなるのを自覚した。

いい加減でもいいじゃん。

ご飯を炊いた時だけお供えするでもいいのかな?

こうでなければならぬと、自分を縛るのは、長続きしないと思うから、ゆるりと長くできる方法を目指すね。私なりに。